芥川龍之介

彼はヴォルテエルの家の窓からいつか高い山を見上げてゐた。氷河の懸つた山の上には禿鷹の影さへ見えなかつた。が、背の低い露西亞人が一人、執拗に山道を登りゞけてゐた。 ヴォルテエルの家も夜になつた後、彼は明るいランプの下にかう云ふ傾向詩を書いたりした。あの山道を登つて行つた露西亞人の姿を思ひ出しながら。 誰よりも十戒を守つた君は 誰よりも十戒を破つた君だ。 誰よりも民衆を愛した君は 誰よりも民衆を輕蔑した君だ。 誰よりも理想に燃え上つた君は 誰よりも現實を知つてゐた君だ。 君は僕等の東洋が生んだ 草花の匀のする電氣機関車だ。